早いもので八丈島に移住してから4年ほど経ちました。
もう中堅、とまではいきませんが八丈初心者ではなくなり、色々と島のことを聞かれることも多くなり…お恥ずかしながら答えられないこともしばしば。
なので、自分の調べ学習として八丈島の文化や歴史を勉強して書いてみようと思います。
八丈島にはいつから人が住み始めたのか
流人の島、というのは有名で平安時代に源為朝が来ているのはよく知られること(八丈小島で自害)。
じゃあそれより前の時代は、というと縄文時代から八丈島には人が暮らしていたというのがわかっています。
証拠は2つの遺跡。
湯浜遺跡と倉輪遺跡です。
①湯浜遺跡
昭和37年に八丈島の樫立地区の温泉ホテルで古代遺跡が見つかります。
土器、打製石斧、磨製石斧、石皿など。
土器の特徴が本州のものと異なる特徴があり、黒潮に乗って南方諸島などからの渡来であった可能性もあるそう。
②倉輪遺跡
その後、同じホテルの一角で昭和52年に再び遺跡が発見されました。
ここでは住居跡や埋葬人骨、装身具があり定住していたことがはっきりとわかる。
また、犬の歯も見つかっていることから、犬と共に生活していたとみられる。
見つかった魚の骨の中にはサメの歯も多く、サメ類の捕獲が多くなされていたようである。
いや〜こういうの想像するのってロマンですよね。
今みたいに地図もない時代にこんな島に流れ着いて、きっとここを目指して来たわけじゃないでしょうに住み着いて。
道路や建物だってないし、そもそも切り開かれてない島。
さぞ鬱蒼としていたことでしょう。
しかもよりによって坂上に住んじゃうっていうね(笑)
何か理由があったんでしょうか。
ちなみに温泉ホテルは今は廃墟です。
実は私は入ったことがあるので、その話はまたの機会に。